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日语美文朗读版:芥川龙之介-煙草と悪魔

时间:2011-04-15 14:03:34  来源:可可日语  作者:nvwu

 天文十八年、悪魔は、フランシス?ザヴイエルに伴(つ)いてゐる伊留満(いるまん)の一人に化けて、長い海路を恙(つつが)なく、日本へやつて来た。この伊留満の一人に化けられたと云ふのは、正物(しやうぶつ)のその男が、阿媽港(あまかは)か何処(どこ)かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁(ほげた)へ尻尾をまきつけて、倒(さかさま)にぶら下りながら、私(ひそか)に船中の容子(ようす)を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた。勿論、ドクトル?フアウストを尋ねる時には、赤い外套(ぐわいたう)を着た立派な騎士に化ける位な先生の事だから、こんな芸当なぞは、何でもない。

 所が、日本へ来て見ると、西洋にゐた時に、マルコ?ポオロの旅行記で読んだのとは、大分、容子がちがふ。第一、あの旅行記によると、国中至る処、黄金がみちみちてゐるやうであるが、どこを見廻しても、そんな景色はない。これなら、ちよいと磔(くるす)を爪でこすつて、金(きん)にすれば、それでも可成(かなり)、誘惑が出来さうである。それから、日本人は、真珠か何かの力で、起死回生の法を、心得てゐるさうであるが、それもマルコ?ポオロの嘘らしい。嘘なら、方々の井戸へ唾を吐いて、悪い病さへ流行(はや)らせれば、大抵の人間は、苦しまぎれに当来の波羅葦僧(はらいそ)なぞは、忘れてしまふ。――フランシス上人の後へついて、殊勝らしく、そこいらを見物して歩きながら、悪魔は、私(ひそか)にこんな事を考へて、独り会心の微笑をもらしてゐた。

 が、たつた一つ、ここに困つた事がある。こればかりは、流石(さすが)の悪魔が、どうする訳にも行かない。と云ふのは、まだフランシス?ザヴイエルが、日本へ来たばかりで、伝道も盛にならなければ、切支丹の信者も出来ないので、肝腎(かんじん)の誘惑する相手が、一人もゐないと云ふ事である。これには、いくら悪魔でも、少からず、当惑した。第一、さしあたり退屈な時間を、どうして暮していいか、わからない。――
 そこで、悪魔は、いろいろ思案した末に、先(まづ)園芸でもやつて、暇をつぶさうと考へた。それには、西洋を出る時から、種々雑多な植物の種を、耳の穴の中へ入れて持つてゐる。地面は、近所の畠でも借りれば、造作はない。その上、フランシス上人さへ、それは至極よからうと、賛成した。勿論、上人は、自分についてゐる伊留満(いるまん)の一人が、西洋の薬用植物か何かを、日本へ移植しようとしてゐるのだと、思つたのである。

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