《伯爵与妖精》卷二第三章牛奶糖与橘子3.1
キャラメルとオレンジ
風もなく、波立ちもない静かな湖面を、すべるようにボートが行き交う。ランタンの明かりが、異国風に飾り立てられた遊覧ボートを夢のように彩(いろど)れば、湖面にともるいくつもの光と優雅な舟影が交錯(こうさく)し、湖は幻想的な色合いに包まれていた。
貸し切りのボートの上で、リディアは、ロンドンにはなんてひま人が多いのかしらと考えてしまう。すれ違うボートの上からは、着飾った男女が談笑しながら通り過ぎる。
もちろん、働く必要のない階級、ひま人なのはエドガーもそうだ。
十人は乗れるだろうボートに、桟橋(さんばし)で待っていたレイヴンも加えて、今は三人だけだ。漕(こ)ぎ手がふたり乗り込んで、ゆったりと櫂(かい)をあやつっている。
「クリモーンガーデンズのクライマックスは花火だよ。湖上がいちばんの特等席だ」
「花火が見られるの?」
「そうだよ、見たことある?」
「ないわ」
「なら、僕はラッキーだ。きみの新鮮な感動につきあえる」
レイヴンがシャンペンを開ける。細いグラスを手渡され、注がれた金色の液体を眺めていると、映り込んだ炎のゆらめきだけで酔いそうだった。
「乾杯しよう。勇敢(ゆうかん)な僕の妖精に」
「勇敢なって……」
「さっき助けてくれたじゃないか。怪我(けが)を負ってまで」
大げさすぎる。それに「僕の」は余計(よけい)よ。
けれどなんだかもう、エドガーがどんなに恥ずかしい言葉を口にしようと、ありふれたことのように思えてしまう自分もいた。
慣れたというより、この人にとっては、きらめく演出も、どこにいようとその場の主人のように振る舞うことも、とくべつなことではなく日常だから。
クッションを敷いたベンチは広々としているのに、隣に腰をおろしたエドガーとの距離が近すぎるような気がしたが、シャンペンを流し込めばどうでもよくなった。
「花火、どこで見たの?」
言ってしまってから、どうしてそんなことを訊(き)くつもりになったのだろうと思う。
じつのところリディアは、彼の過去についてはけっして訊かないと、心に決めていた。
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