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每日阅读(12.1):黒木和雄

时间:2008-12-01 10:21:24  来源:本站原创  作者:Echo

「私にとって『紙屋悦子の青春』は、あの時代を生きた若者たちに捧(ささ)げるレクイエムでもあります——」。映画監督・黒木和雄さんは、最新作のパンフレットに、そう書いた。

レクイエム【(ラテン)requiem】

1 カトリック教会で、死者のためのミサ。典礼文の冒頭語がRequiem(安息を)であるところからいう。

2 1のために作られた楽曲。鎮魂ミサ曲

       “对我来说,《纸店悦子的青春》也是一首献给那个时代年轻人的安魂曲。”电影导演黑木和雄先生在最新作品附带的小册子中如是写道。

 

 8月の公開に向けて、試写会やパンフの印刷が進んでいた。そのさなかに脳こうそくで倒れ、75歳で急逝した。少年時代の空襲体験に基づく「美しい夏キリシマ」や、原爆投下後の広島を舞台にした井上ひさしさんの戯曲による「父と暮せば」などを監督、「あの時代」を庶民の目線で描き続けた。

       为迎接8月电影上映,试映会和小册子的印刷正在积极地进行中。然而,正在这一切进行得热火朝天时,黑木先生因为脑梗塞而倒下暴卒,享年75岁。黑木先生曾根据少年时代的空袭经验导演了《雾岛美丽的夏日》,还根据井上寿先生以投下原子弹后的广岛为舞台创作的戏曲导演了《若能和父亲一同生活》,他一直从普通百姓的视角来描绘“那个时代”。

 

 松田正隆さんの戯曲を映画化した「紙屋悦子の青春」は、昭和20年の鹿児島を舞台に、特攻で出撃する青年と、その友や知人の娘との交流を描く。タイトルを掲げる冒頭と最後を除いて、音楽が入っていない。

       《纸店悦子的青春》是将松田正隆的戏曲电影化的作品,它以昭和20年的鹿儿岛为舞台,描写了因特攻任务而出击的青年和他的朋友,及熟人的女儿之交的来往。除了显示电影名字的开头和最后的部分,全剧都没有加入音乐。

 

 現実の世界では、映画のように演出として音楽が流れることはあまりない。音楽を入れないことで、感傷に流れるのを押しとどめようとしたのではないか。映画では、その人々の日常が「時代」によってつくられ、また壊されてゆくさまが淡々とつづられる。

       现实世界中,不会像电影那样作为演出的一部分流淌着音乐。不加入音乐,是否是为了阻止人们陷入感伤中不能自已呢?该电影淡淡地描写了剧中人物的日常生活因“时代”造就并摧毁的情形。

 

 やがて友と娘は結ばれ、共に老いたある日、夕闇の迫る中でこんな会話をする。「今日の続きのあるとですか」と妻が言う。「うん……ずっと続くったい。いつまででん」。今日の続きが「ある」と言えなかった人たちへの鎮魂のように聞こえる。

       不久,朋友和熟人的女儿结为夫妇。后来两人都已变老,某天,夜幕降临时,他们谈到。“今天还会继续下去吗?”妻子问。“恩……我希望可以继续下去,永远。”听起来像是献给已经不能再说今天“继续下去”的人们的安魂曲。

 

 黒木さんには一度お会いしたが、静かなたたずまいの中に、生と死の深い淵(ふち)からもの見るような面ざしがあった。作品は、「あの時代」を二度と繰り返さないようにという願いであり、伝言なのだろう。

       笔者曾有幸拜见过黑木先生一面,他的样子给人感觉他仿佛站在生与死的深渊中看待事物。他的作品表达了不要再重蹈“那个时代”覆辙的心愿,也是他的留言。

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