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报刊杂志精品选读 第1期

时间:2010-02-11 14:42:21  来源:本站原创  作者:huangwen

   50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は平和国家として、国家発展に努める決意を表明しました」。今も、その志にいささかの揺るぎもないと、小泉首相はジャカルタで演説した。
 50年前のバンドン会議の日本代表は、首相ではなく、高碕達之助・経済審議庁長官だった。その演説を本紙はこう伝えている。「わが日本が国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、武力による脅しを行わざる平和民主国家であることを、この機会に再び厳粛に宣言する」。大戦後の講和会議から4年、アジア諸国とまみえる場で、新憲法の精神が強調された。
 ジャワ島のバンドンは、さわやかな風が吹き渡る高原の街だという。かつて支配していたオランダ人は「ジャワのパリ」とも呼んだ。しかし過酷な植民の歴史は、この街を「火の海」にしたこともあった。
 独立宣 言後の1946年、再植民地化をたくらむオランダの攻撃に遭い、インドネシア共和国軍はバンドン市の南部に火を放って山岳地帯に逃げた。人々の愛唱歌「ハロ・ハロ・バンドン」は、バンドンを奪い返す誓いの歌だという(『インドネシアの事典』)。
 支配され侵略された側では、その思いは世代を超えて伝わってゆく。相手国の過去を許したとしても、忘れはしまい。相手が忘れることは、許し難いだろう。
 小泉首相は昨日、日本のアジア諸国に対する植民地支配と侵略について「痛切な反省とおわび」を表明した。「決して忘れてはいない」と伝わったのかどうか。耳を澄まして、答えを待ちたい。
 
2005年04月23日(土曜日)付

万里の長城の東の起点・山海関は、北京の東約300キロの渤海沿いにある。地勢の険しい古来の兵争の地で、「天下一の関所」とも言われた。
 第二次大戦後50年にあたる95年の終戦の日の直前、江沢民主席は、山海関近くの滞在地・北戴河で、本社と会見した。青年を対象に進めている愛国主義教育については、こう述べた。「歴史を正しく認識し、忘れないように教育することにあり、両国に不和をもたらす意図は全くない」
 それから10年後の今、中国から声高に届く、愛国主義の行動に罪はないという「愛国無罪」には、両国の不和にまでつながりかねない危うさを感じる。そしてもう一つ、デモ隊が日本を見下して言う「小日本」については、山海関から海を望んだ時の思いがよみがえってきた。
 山海関は、西から延々と続いてきた万里の長城が、ついに海に入る地点だ。その海のはるかかなたには、見えはしないが日本列島がある。ユーラシアという世界最大の幅を持って横たわる陸地から望むと、地理地形の上からは、列島は大海に浮かぶ細いひもか縄のようにも思われる。
 中国の長い歴史と文化を誇る人たちが、日本に対して、ある種の優越感を覚えたことは、想像に難くない。その日本に侵略され支配されたという屈辱と、負わされた傷とは、半世紀ぐらいで癒えたり消えたりするものではないとも思われた。
 街頭での「小日本」の裏には、屈折した大国意識と群集心理が感じられる。群衆から、例えばひとりの青年に戻った時にも、声高に「小日本」と言うのだろうか。


2005年04月19日(火曜日)付

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