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日语和歌《百人一首》之第八首:我今幽居结草庵

时间:2012-07-18 17:42:01  来源:可可日语  作者:ookami

注释:

(1)わが庵は:这句比较容易理解。其中「庵」是对自己住处的谦称。
 
(2)都の辰巳:「都」指京都。在古代的阴阳学中,常用天干地支来表示方位,其中「辰巳」表示东南。「都の辰巳」即京都东南。 

(3)しかぞ住む:「しか」即「然」,相当于口语的「そのように」,与汉语文言文中的“然”同义。也有人认为「しか」是「鹿」,这样虽然也可以解释得通,但终究与后面的「世をうぢ山」有不协调之感。「ぞ」是系助词,「住む」是连体形,两者是系结关系。关于系结规则,前面的《(三)柿本人麻吕》中已经介绍过,是指出现「ぞ」、「や」等系助词时,后接的用言要变为连体形与之照应,表示强调。 

(4)世をうぢ山と:此歌后两句历来号称“难解”,自古以来无数注释者为此争论不休。通行的解释认为,「世をうぢ山と」是挂词,即谐音双关,其中的「うぢ」既表示「憂じ」,又表示「宇治」,所以此句完整的含义应为「世を憂しとして、宇治山に住む」。宇治山位于今天京都府宇治市东部,是日本名山。「と」表示引用,是后句「いふ」的内容。 

(5)人はいふなり:「いふ」是历史假名,实际上是「いう」。「なり」是表示传闻、推定的助动词。这一句的意思是“我听别人都这样说”,言外暗含了一句 “我却不这样认为”。

创作背景:

都では「喜撰法師は失恋したので草庵で暮らしている」という噂がありました。フン!と思った喜撰は、この歌を都の人に届けたそうです。

作者:

喜撰法師(?~?)
平安時代のはじめ頃の人とつたえられていますが、どんな人かくわしいことはわかりません。出家して山城国(京都府)の宇治あたりに住んでいたといわれ、六歌仙のひとりにあられてげています。

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