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【日本文化略知一二】日清・日露戦争と日本帝国主義(上)

时间:2009-09-03 12:52:02  来源:本站原创  作者:huangwen

    日本的历史进展到现在,有了帝国主义的色彩和侵略主义的萌芽,那究竟是怎么爆发日清战争的呢?今天我们就来看一下日语版的解释吧!

     1894年、朝鮮での甲午農民戦争と呼ばれる大規模な反乱が発生したのを契機にして、日清両国が朝鮮に出兵し、日清戦争が起こった。次ぎに義和団の乱が起こると、日本を主力とする8カ国連合軍は、1900年、北京に進駐した。続いて、満州を占領していたロシアが韓国に勢力を伸ばすや否や、日本は日英同盟を結んでロシアに対抗し、 1904年にはついに日露戦争が勃発した。明治末期には日清・日露という大きな戦争が起こったが、その勝利を通じて日本は歴史上初めての海外植民地を手に入れ、帝国主義国に転化していったと言える。

 みなさんは、福沢諭吉という人を知っているだろうか。現在の慶応大学の創立者なのだが、一万円札に載っている人物と言った方がわかるかも知れない。この諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な人間平等宣言を記すとともに、西洋文明を学ぶことによって「一身独立、一国独立」すべきだと説いた学者で、明治を代表する思想的指導者であり、近代教育の祖とも言われる人物である。その諭吉でさえ、1985年には「脱亜論」を展開し、アジアを蔑視し、「朝鮮・中国と接する時は、ヨーロッパの国々が接するのと同じやり方で接すればいいのである。」と侵略を肯定するようになった。そして日清戦争に当たっては、「これは文明と野蛮の戦争であり、文明国日本にとって、清との戦いは正義の戦いである」と新聞に書くに至ったのである。日清戦争に対する日本国内の反応は「好戦気分」の洪水であった。

 

 

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